夫の祖母の話。

夫の実家から、車で10分ほどのところに家があります。
広い広いお庭にはたくさんの季節の花や木。
春には裏山で毎年タケノコを掘り、秋には栗を拾います。



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若いころは、自宅で農業をする傍ら、ミシンのセールスをして、とてもお客さんが多かったのだとか。
明るく、働き者で、孫嫁の私にも、とっても優しいおばあちゃん。

戦争から帰ってきたおじいちゃんと結婚して、苦しい時代に苦労して一男一女を育てあげました。
なのに、病気で息子を亡くしたのが15年ほど前のこと。

そしておじいちゃんも長い入院の末に亡くなり、ここ数年は、一人暮らしをしていました。
時々遊びに行くと、いつも笑顔で迎えてくれたおばあちゃん。
いつも、同じ若いときの話を聞かせてくれて、うんうんと聞いていました。

90歳を過ぎた今年の年末、毎日様子を見に行く義母が、家の中で倒れているおばあちゃんを見つけました。
救急車で運ばれたおばあちゃんは、なんとか命を取り留め、そのまま病院に入院することに。
一度も入院したことが無いとよ、というおばあちゃんの初めての入院でした。

入院した病院は高齢の方が多く、薄暗い廊下に、独特の匂い。
看護師さんたちは優しいけれど、いつも忙しそうでした。

症状が落ち着いたおばあちゃんは、それ以上の入院ができなくなり、義母がいろいろ考えた結果、一人暮らしの自宅には戻らず、グループホームという施設に入居することになったのです。

時々テレビで、高齢者施設で起こる、虐待や事件の話を耳にします。
なんとなく、良いイメージが持てずにいたのですが、おばあちゃんに会いに、初めて行ってみて、びっくり。

広々とした玄関はバリアフリーで、スリッパが用意されていました。
施設の方はみなさん、笑顔で挨拶してくれて、リビングに通してもらうと、そこでは10名ほどのおじいちゃん・おばあちゃんが集合し、体操の時間。
みなさん楽しそうに、先生の真似をして手や足を動かしていました。
病院のような匂いも無く、清潔で明るいお部屋。
おばあちゃんの部屋に通されると、施設の方がお茶まで出してくれて。
グループホームって、そうかあ、病院ではなくって、ホームなんだぁ・・・とジーンとしてしまった。

施設でお世話してくれる方はみんな良い方、いじめや虐待なんてとんでもない。
何から何まで優しく手伝ってくれる。
ホームの他の入居者の方とも、みんなもうお友達よ!
と、おばあちゃんは話してくれました。

でも、衣類などを全然収納せずベッドの上に畳んで置いていたのです。
もうすぐ家に帰るから、いいのこれはこのままで、と。

やっぱり家が恋しいのでしょう。

裏山の木を切ってきて、大工さんに作ってもらった大事な家。
何十年も、おじいちゃんと住んだ家。
巣立った子どもたちや、その孫たちが、お盆やお正月に集まってくれる家。
おじいちゃんの写真が飾ってある家。

でもねえ。
もうここに、ずっとおらないかんとやろうねえ。

と、ぽつりと一言。

義母がそのつもりであることを、すでに私たちは知っていたので、何も言えなかった。
義母にとっては、いつも目が行き届く安心できる施設で、人と話しながらゆっくりと過ごしてもらいたいのでしょう。

いろんな事情の中で、私たちは生きて、そして死んでいく。
大切な家族に、負担や心配をかけずに、心穏やかに過ごせたら、きっとそれは良いことなのでしょう。
少し、寂しい気持ちを抱きしめながらも。

そんなおばあちゃんを思いながら、自分のことも少し考えてみました。
おばあちゃんの年齢まで、まだ50年ある。
50年後、私はどこで、どう過ごしているんだろう。

今、大好きなこの家も、50年たって、それこそ古くなっていることでしょう。
このままここに住み続けているのか、夫の実家で暮らすことになるのか、子どもたちと一緒にいるのか、それとも、おばあちゃんのように、グループホームに入っているのか・・・

ずいぶん先のことのようで、でも、あっという間のことなのかもしれない。
日本も、そして地球そのものがどうなっているかもわからない。
終の棲家はまだ見えません。

先日、Twitterで、こんな言葉を見かけました。
自分の年齢を3で割る。
そしたら、人生という一日の中で、今何時なのかがわかるんだそうです。

今年18歳になる長男は、朝の6時。
今年15歳になる次男は、朝の5時。
今年14歳になる三男は、朝の4時半ごろかな。
まだまだ、夜明け前の子どもたち。

私たち夫婦は、もう15時過ぎ。
でもまだ、日は高い。
日が落ち、そして眠りにつくまで、まだ準備をする時間はありそうです。

お楽しみは、これから。
一日一日を、大切に生きたいと思います。


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