私が生まれたときすでに、父方の祖父母と母方の祖父は他界しており、
私にはおじいちゃんという存在がありませんでした。

唯一残っていた母方の祖母も、私が大学生になるころには、
もうすでに認知症が進行して、長いこと病院に入り、
10年ほど前に天国に行きました。

夫の母方の祖父母は、二人ともとっても元気で、
我が家から車で30分ほどのところに住んでいたので、
毎月、子供たちを連れて遊びに行っていました。

孫とひ孫の顔を見るのを、いつもとても楽しみにしてくれていて、
優しく温かく、血のつながらない私のことまで、
とても可愛がってくれていたのです。
私にとっては、本当のおじいちゃん・おばあちゃん以上の存在でした。

二人は、花や野菜を育てるのが好きで、広いお庭に、
たくさんの植物を植え、育てていました。

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おじいちゃんとおばあちゃんの、自慢のお庭でした。
大正生まれのおじいちゃんは、かつて、戦争で南の島に行ったそうです。
奇跡的に生き残り、日本に帰り着いた。

おじいちゃんは戦争の話をほとんどすることがなく、
ただ唯一私が聞いたのは、お正月にみんなで集まってフルーツを食べたとき、
おいしそうなマンゴーを見て、南の島を思い出すから、食べたくないと。
何十年たっても、癒えない傷。
どれだけ辛い現実の中を生き延びてきたのか、私には想像すらできません。

そのおじいちゃんが、先日、静かに天国に旅立ちました。
去年、腰の骨を折って入院してからも、
おじいちゃんは毎日欠かさず、日記をつけていたそうです。
そして亡くなるその日まで、家族みんなと会話をし、
眠るように、家族に見守られて、安らかな最期だったと。

葬儀の時、初めて、軍服を着たおじいちゃんの写真を見せてもらいました。
色あせたその写真の中で、おじいちゃんはとても、逞しい姿でした。
日本のために、家族のために、命を懸けて戦って・・・
涙が止まりませんでした。

おじいちゃんが生きていてくれたから、
今、私の子どもたちが、この世にいます。
おじいちゃんが生きた証、私たち夫婦で、しっかり育てていかなければ。

子どもたちにとっては、初めての肉親の死でした。
葬儀も、火葬も、その役目をしっかり務めることができました。
どうか、おじいちゃんのように、強く元気に、長生きして欲しいなあ。



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葬儀で持ち帰ったお花を、先月買ったオマジオに。
おじいちゃんと過ごした日々を、忘れないように。